花王威風
 〜大戦時代捏造噺

  


まださして戦況も深刻ではなかった頃に、
彼らの属す小隊が長く足場にしていた南方支部は。
その敷地から最寄りの里までの道程の取っ掛かり、
延々と連なる桜並木と接していて。
丁度、隊員らが寝起きする宿舎の西側に位置していたものだから。
春先のようよう陽の長くなり始めた頃合いの、
黄昏どきから夜更にかけては。
門限破りの遅い帰宅や、
届けを出し忘れのこっそりしたお出掛けなんぞを、
あっさりとバラしてしまうからさっぱりだなんて、
先輩諸氏が愚痴半分に言っており。
それがどういう意味なのか、やっと七郎次にも判ったのは。
やっとの春が訪のうたことを知らせるかのよに、
その道の上を延々と飾る緋白の花霞がお目見えした頃のこと。
練絹のような桜の花たちが、
それは見事な密集ぶりで咲き誇るものだから、
宿舎の窓辺へ立つ人は、ついのこととてこちらを見やる。
そんなつもりはなかった眸まで、
あっさり山ほど引き寄せてしまうから、
此処でのこっそりとした行動は無理、という理屈なのだそうで。

 「これは…凄い。」

どこぞかの観光地であるかの如く、
いやさ、用意されたものでも、
こうまで妖艶凄絶な桜並木はまずはないと、

 「…何でお前が威張るのだ。」
 「先達としてのおシチへの説明じゃないか。」

どうだ良いところだろうとの言い回しに過ぎぬわと、
相棒のツッコミへ澄まして返した良親だったが、

 「……ありゃあ聞いてねぇぞ。」
 「だな。」

一番の当事者だろう、
金の髪を引っつめに結った年若な下士官殿はといや、
軍服の濃色浮き上がらせる白い花闇へ、
その身を埋めたいかのよな浮き立った足取りで歩みつつ、
ただただ薄く口を開いての、頭上の桜に見ほれるばかり。

 「凄いですねぇ。」

こんな光景、滅多には見られませんてと。
心から堪能しきっておいでならしく、

 「俺…わたしの生まれた土地は北のほうだったから尚更に、
  こうまでの花で埋まった風景って希少だったんです。」

雪をいただく稜線とか、凍りかかった湖とかに象徴されてた地方であり。
夏場は涼しい高原の気候を、
体に良いとか静かで良いとか尊ぶむきもあったようだが。
この麗しい見目を大きく裏切って、
随分なやんちゃだったらしい副官殿にしてみれば、
その静かさも難でしかない、退屈極まりなかった土地だったのかも。

 「あ…でも待てよ。
  桜ってのは原産地は暖かい土地かもしれんが、
  結構 北の方へも植林されてなかったか?」

 「え?」

ここのもそうだが、ソメイヨシノという種の桜はの、
人の手で生み出された品種ゆえ、
結構応用が利いての寒いところへも頼もしく育つのだとか。

 「一本桜なぞに多い“樹齢何百年”というほど保ちはせぬそうだが、
  それでも この派手さだからと、あちこちに広まっていると聞いたがな。」

  おお、どうした征樹。
   何がだ。
  いやいや、いきなり博学ひけらかしてどうしたかと。
   悪ぁるかったな、
   俺ゃどっかのモグリの医者と違って、口八丁は苦手でな。
  おおや、こいつぁお褒めに預かって。
   たまにしか語らねぇから、言葉の重みも違うのサ。
  何だそりゃ。

柔らかなくせっ毛をした優しい面差しに見合わず、
喧嘩っぱやい丹羽良親と、
折り目正しくも誠実そうな凛々しい印象に見合わず、
実はノリのいい佐伯征樹と。
仲が良いくせに、こうやって角突き合う振りも欠かさない。
島田隊の双璧なぞと呼ばれて長い筈のお二人も、
その性分はいつまでも屈託がなくておいでで。
着任したての、しかもまだまだずんと幼いクチの副官殿へ、
何かというと構いつけて下さっていて。
なので、

 「あちこちにって、
  じゃあ少なくとも領内にはどこにでもあったんでしょうか。」

人の会話を聞いてたんかと問いたくなるよなところへまで、
話を戻した後輩さんへ。
おややとお顔を見合わせてから、

 「まあな。記念の植樹なんぞに良く選ばれる種類だし。」

あらまあ、じゃあわたしが覚えてなかっただけなんだ。
そんな風に今になって気がついたらしく、
白い頬をぽぽぽっと、見る間に赤く染めてしまった素直さが、
得も言われずの可愛らしい。
一際強い風を受け、ゆさりと枝ごとたわんでも、
まだ花の時期は初めのほうだ、
ちっとくらいじゃあ散る気配もなくて。
風を受ける時間差を、そのまま描いてのことか。
延々と連なる枝々が順番に、
ゆらりふさりと大きく揺れるのを、
手前から向こうへ、西へ西へと受け渡してゆく様がまた。
大掛かりな舞いのよで、
華麗だし可憐だと、青年の青玻璃の視線を引きつけて離さない。

 “おシチにとっての勘兵衛様と並ぶかの。”

もしかしたなら、彼がいた里や士官学校にもあったもの。
その頃の彼は、ただただ前ばかり見ていたから、
若しくはしゃにむだったから気づかなかったが、
こういうことへも耳目が向くよな、
そんな落ち着きや気持ちの尋、
奥行きのようなものが今は身についたまでのこと。
我らが司令官殿の人性へ、ああまでの奥行き授けたのが、
身を擦り減らすような苦難艱難へ、
歯を食いしばって耐えたからなのと同じよに…。

 “願わくば、いつまでもそんなお顔でいてほしいものだが。”

何へでも素直にわあと感嘆し、憤怒には率直に胸焦がし、
諦念なんてものは覚えぬままの じゃじゃ馬でいてほしいが、

  あの勘兵衛に惹かれた者には無理な相談だろうなと

自分らの身をもって痛いほどに知っている。
聡明でありながら、自身へは無謀も山ほど重ねるお人で。
人が好きでありながら、だが、侍としての責務も強く自覚してのこと、
時に非情な選択もするし、千のために十を捨てる英断も辞さぬ。
生かす命を護るため、人の心を持ってはならぬと自身に強いる。
そんなお人の悲しみを、少しでも肩代わりしたいと思ったらもう、
後戻りの出来ない修羅の道、共に往くしか先はない。
強い強い風にも負けず、
撓むだけ撓んでもなかなか折れぬ、
可愛げのない灌木にでもなるしかない。

 「良親様?」
 「んん? なんだ?」

少々惚けていたのはそちらなくせして。
何だと柔らかにほころんだお顔へ、
ついつい言葉に詰まってしまった可愛い後輩へ、
何を思うたことなやら、からかうように囃し立て、
その頬ふくらまさせた やんちゃな副指令。
まだまだ戦況も穏やかだった、そんな春の午後一景……。





      ◇◇



 「…なんていうお話をしたのを思い出しまして。」

春の宵が垂れ込め始めた、
そんな窓辺へ佇む副官殿は、だが、こちらへは後ろ姿を向けており。
上官相手の場にあって、そんな不遜は本来許されぬものだけど。
彼の意識を吸い寄せているものを知っておれば、
言われずとも慕ってやまぬ司令官の前であれ、ついつい視線が流れもしよう。
夜陰の中に見る桜も、こうまで綺麗だったとはと、
うっとりと眺めておいでの副官殿であり、

 「良親らは言うてはおらなんだのか?」
 「はい。」

恐らくは、この時刻にあって、
のんきに夜桜見物なんてごめんだったのかも知れません、と。
少しは事情が飲み込めて来たらしい青年が、
口を利く“花”のいる色街へ連なる道でもあるその並木、
自身からして白く輝いているよな花々の列を、
ただただ陶酔のお顔で見やっているばかりであり。
まだどこか、青々しくも線の細い彼なので、
濃色の上着の輪郭を、夜陰の黒に飲まれかけている双肩なぞ、
そのまま彼ごと、
どこぞかへ吸い込まれてゆきそうに見えなくもなくて。

 「あれが一斉に散り始めるとまた、
  得も言われぬ壮観な様子になるぞ」

 「一斉に?」

意外なくらいに間近から立ったお声へ、
はっとし振り向きかかった若い背中を、
精悍な男の肢体が押し包む。
一回りは大きな体躯は、やすやすと青年の肢体を隠してしまえて。
前へと回された腕へ掴まる青年は、
ふざけかかられたと思うたか、屈託のないままな眸を上げて来た。
つややかな金の髪も、間近になった淡色の肌も、
並木の桜と同様、その内へと清かな光を飲んでいるかのようで。
内心でたじろぎかけた勘兵衛へ、
伸びやかだが少し低められた声が、他愛のない囁きを届かせる。


  ―― 勘兵衛様も御存知なのですか?
     ああ。


散華は数日ほど続くのでな、
朝な夕なにとめどなく降る様はそりゃあ見事だ、と。
どんな仕儀へも無頓着な上司が、だのにしては珍しく、
褒めたような言いようをしたのを どう解釈したものか。
ふ〜んと気の無さげな相槌を打ってから、
あれほど見入っていた桜から外した視線で、
腕の中より じいとこちらを見上げて来。
桜よりも何よりも貴方様へこそ心奪われておりますのにと、
しれっと言えぬは、まだまだ幼き虚栄が邪魔をするせい。
そんな心持ちになぞ、まったく気づかぬ御主は御主で。
こちらを仰ぐ彼のお顔の白さこそ、
桜を照らす月にも並びそうな煌々しさに見えたりするものだから。

 「…誘うたはお主ぞ?」
 「え…?  
///////」


  ただただ声もなく散り急ぎ、
  誰かの涙雨を思わす、もう1つの花の闇。
  そんな凄絶な風景もきっと、
  この彼の有りようには敵うまいと。
  気に入りの髪を束ねる元結といて。
  月華の如くの嫋やかな温み、
  腕の中へと閉じ込める……





  〜Fine〜  10.04.14.


  *オレンジデーだということで。
   オレンジは出て来ませなんだが、
   大切な人への愛を込めたお話を。
   (どこの口がそんなキザを言うか)

happaicon.gif めるふぉvv**

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